(参照:nico2018.8月号)
熊本地震では、厚労省が日本歯科医師会に依頼をして、同会から九州地区連合歯科医師会を通じて、災害医療の経験を積んだ歯科医師や歯科衛生士が派遣されました。そして、有志の先生がたも含め、熊本県歯科医師会や被災した地域の先生、熊本県歯科衛生士会や自治体と連携して支援を進めました。災害発生後1週間後から活動しながらの体制づくりだったそうです。全体的な判断をする統括の役割を担う日本歯科医師会災害歯科コーディネーターの中久木康一先生を中心に支援活動がなされました。東日本震災で被災された先生には「今すぐ行きたい。あのときの恩を返すんだ。」と思って行動していただいた方たちがいてくださいました。
私たちパートナーの多くは熊本地震の被災者です。
私は2度目の震度7(本震)でポッキリ心が折れ(1日かけて片付けたすべてが台無しになり、余震に備えたことすらなんら意味なかったことなどによる)、その後に重ねて、これでもかとやってくる余震に神経衰弱でした。そんな中、比較的被害が小さかったパートナーを中心に、本震の翌々日には動いていました(驚)。
以下は、当院パートナーの経験談です。
2016年
4月14日(木)21:26前震 震度7
4月15日(金)診療のキャンセルの連絡や地震後の医院の片付け・清掃
4月16日(土)01:25本震 震度7
4月17日(日)<余震に耐え、自宅の片付けに追われていた>
4月18日(月)から
在庫があった歯ブラシなどの物資を当尾小学校や宇城市役所へ運びました。
外来は、応急的に診療を始めました。停電がなかったおかげです。
ただ水確保には苦慮しました。井戸でくみ上げているため数週間は泥水が出ていました。
泥水では診療ユニットが使えないことがダメージでした。毎日毎日、自宅から水をペットボトルに入れて持ってくる日が続きました。水を届けてくださる方もありました。
みんなで持ち寄った水と訪問診療で使用しているポータブル診療ユニットを使い、診療していました。
訪問では、行ける範囲の通常診療している施設や居宅へ、断水しているところも多かったので、自宅からペットボトルに水を入れて、口腔ケアに向かいました。
他方、届けられた物資を運ぶ係を決めて、ドクターが中心でしたが、物資を各避難所へ届けていました。
高速道路が通行止めになっていたので、訪問にいく歯科衛生士や運搬係は、慢性的な渋滞によく巻き込まれていたといいます。
また、休日には、ボランティア活動をしていたパートナーもいます。自宅のある校区の中学校(避難所)で、歯科衛生士として責任ある活動をしていた者もいます。
刻々と変化するその時点において、制限された状況の中で、何ができるかを考え、テキパキと行動していたパートナーを、私は誇りに思っています。
使命感にあふれ、逆境になると奮い立つようなところが、日本人にはあると実感しました。
そして、多くの方々にご支援をいただき、こうして今を生きています。
次回は「避難生活について」です。